今、もし、自分の脚が使い物にならないことになったとしたら。
自分だったら一体どうなるのだろう。
脚でなくても、腕が、声が、顔が。
この仕事をこなしていけない事態に陥ってしまったとしたら・・・。
とある日曜日のお昼過ぎ。丁度仕事の合間の休憩時間、携帯にメールが入った。
それはとても珍しい人物。いつもはPCでしかやりとりをしない人。
彼も自分と同じく車が好きで、自分以上に色んな種類のレースを観る。
土曜日のCART事故の知らせがPCに届いていたこともあって、とても嫌な予感がした。
『ザナルディ両脚切断。タグリアーニは特に異常なし』
97・98年のCARTチャンピオンのザナルディ。彼は99年のF1復帰以降、ずっといい結果が残せていない。
「両脚切断・・・」
その場に1人だったことも手伝って声が出た。だがそれと重なってドアが開く気配がする。
特別ノックもなしにこの部屋のドアを開くは自分以外には当然1人だけ。
「何?」
呟いた声が聞こえたのだろうか。剛は不思議そうな顔をして尋ねて来た。
「・・・うん。昨日のCARTレースで事故ったドライバーが両脚切断なったって。今知り合いからメール入ってん」
「ドライバーが?」
「やって・・・」
「・・・」
結局剛はそれ以上何も言わなかった。言わなかったのではなく、言えなかったのかもしれない。
でも、どちらにしても俺には有難かった。それ以上何も言う気にはなれなかったから。
それからすぐにスタッフからの呼び出しがあってこのことに関する思考は遮断された。
いつもより少し遅めの帰宅。
それでも日付が変わらないだけで随分違う気がする。
帰ってからもやることは沢山ある。仕事に関することも勿論あるし。1人なのだから家事でもやらなければいけないことは残っていて。
それら全てを終え就寝する頃には少なくとも2時を過ぎていることが最近では当然になっている。
寝るためにベッドに入ったはずなのに昼の事が気になって寝付けない。
流石に30分も睡魔が来ないことに焦れ、寝るという行為を止めてしまった。
仕方なく起き出して眼鏡を掛ける。寝室を後にしてリビングのテーブルの上に置いてあったタバコを手にした。
それを特に吸うでもなく意識は完全にザナルディのことにだけ集中していく。
『もし、自分が同じ立場に立たされる事があったとしたら?』
ずっとその為だけに人生を過ごして来たものを失うことになってしまったら。
今自分を構成しているものがなくなってしまったら。
それが変わりのない唯一の支えだったとしたら。
自分は生きていけるだろうか。
変わらず自分の意志で時を過ごして。
考え始めると深みに嵌るばかりだ。でも考えても答えが出る訳がない。
どんなに考えて結論付けたとしても、実際に起こってみないと何も解らない。
結論付けたことと逆のことを思い、行動するかもしれない。同じことを思い、行動するかもしれない。
例え同じでもずっと痛烈かもしれない。
(あいつやったらどういう結論を出すんかなぁ・・・)
剛だったら。
こんな逃げた結論付けはしないだろう。
まだ起こっていないことを考えても実際どうなるかなんて分からない等というのは、結局考える事から逃げているだけだとよく思う。
あるものを、起こったことを、ただ事実として認識し否定もしなければ肯定もしない。
『何故』って・・・?
『恐い』から。
ただそれだけ。
でもそれを他人には知られたくなくて。
奇麗事を並べて、それ以外のことは言わない。1度言葉にしたらその後は絶対に替えない。
自分だけの言葉の定義は出来るだけ使わない。
そうしないと、弱い自分を知られてしまうから。
もし知られてしまったら・・・?
弱いなんて誰にも思われたくなんかないから。
もし思われてしまったら・・・?
逃げ場所を与えられてしまったら、逃げることしか考えないようになってしまう気がする。
だから絶対に人に知られるわけにはいかない。言葉にされれば今の自分はいなくなってしまうから。
「あちっ」
気が付くと弄っていたはずのタバコが短くなっていた。無意識の内に火を点けていたらしい。
新しい物に咥え直してふとベランダの方を見ると月明かりが目に留まった。
今は9月の半ば。寒くも暑くも無い。煙草と灰皿を持ってベランダに出る。
綺麗な半月が空にひっそりと見える。
真っ暗な空でただ光を反射させている白い半月。
暫く光を浴びていると、今まで考えていたことがとても小さなことに思えてきた。
せめて、自分の意志で『生』『死』を選ぶことが出来るなら・・・。 |